
連載「コロナ禍と出会い直す 磯野真穂の人類学ノート」(第26回)
前回まで
文化人類学の理論である「文化とパーソナリティ」や日本社会の描かれ方を参照し、「日本人の思考の癖」に言及しました。なお、この連載シリーズでは、「日本人」 を「日本社会にて長期間社会化され、母語を日本語とする人びと」と 定義しています。
「日本人の感じ方の癖」を論ずるため、「リスクの実感」という概念を導入したい。これは「ある特定のリスクがそこにあり、それにより自分の存在がなんらかの形で危うくなるかも知れず、故にそれは避けねばならないと感じられるありありとした身体感覚」のことを指す(詳細は拙著『他者と生きる-リスク・病い・死をめぐる人類学』を参照してほしい)。
実感には様々なものがあるが、リスクの実感の特徴はそれが未来についての想像力に根差している点だ。例えば、冬の空気を頰で感じているといった今ここで感じられる実感とリスクの実感は異なる。なぜなら前者は、今この瞬間に身体がなんらかの形で世界と関わることで立ち現れるが、リスクの実感は想像された未来に根ざして生まれる身体感覚であるからだ。
リスクの実感は人間の行動を強く規定する。例えば摂食障害の当事者は、ケーキを一切れ食べたところで体重が急増することはないと頭ではわかっている。しかしリスクの実感がそれを許さない。考えただけでブクブク太る未来が想像されて身がすくんでしまうのだ。
科学的知識がないからこのようになってしまうと考える人もいる。しかしリスクの実感は、正しく学べば直ちに覆るといった代物ではない。なぜならこの実感は、「そう考える」ことはできても、「そう感じる」ことは難しいと表現するにふさわしい、身体に埋め込まれた感覚であるからだ。
集合的に醸造された「リスクの実感」が招く、健康パニック
日本の健康をめぐるパニックの特徴は、リスクの実感が集合的に醸造され、それに呼応する形で起こった即興的な社会変化が年単位で保持されることだと思われる。その典型が、新型コロナによる芸能人の死とそれに追随した社会変化だ。
2020年春に志村けんさん…
からの記事と詳細 ( コロナ禍、日本の過剰ガード 「埋め込まれた感覚」で探る硬直の原因:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル )
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