誰しも多少は経験があるだろう、電車やバスで「あ、なくしたかも」と気づく忘れ物。持ち主の元へ戻るのが最も良いが、引き取られず保管期限を過ぎた忘れ物もできるだけまた活用しようという意識が醸成されつつある。鉄道会社がリユース業者と始めた忘れ物を再利用する試みや、約二十年前からある「鉄道忘れ物掘り出し市」の現場をのぞいてみた。
「遺失物係」と書かれた年季の入った袋の中からは、折り畳み傘やサングラス、文庫本、おもちゃの刀のさや、交通系ICカード、片足だけの子どもの靴などが出てきた。埼玉県嵐山町にある、中古品買い取り・販売を手がけるブックオフグループホールディングス(相模原市)の嵐山物流センター。九月上旬、東急バスの忘れ物が運び込まれ仕分け作業が行われた。
首都圏で電車やバスを運行する東急電鉄や東急バスをグループに持つ東急(東京都渋谷区)は昨年十二月、資源循環型のまちづくりの一環で、ブックオフと連携し、保管期限の三カ月を過ぎて所有権を得た電車の忘れ物を再利用してもらう実証実験を始めた。今年六月からはバスの忘れ物にも拡大した。
それまでは持ち主に返らないものは廃棄しており、鉄道ではその量は二〇二〇年度で約二十五トンに上っていた。昨年十二月〜今年三月の四カ月でブックオフに引き渡した東急電鉄の忘れ物は千二百三十九キロ分。ブックオフで仕分けた結果、44%がマレーシアを中心に海外の店舗へ、18%が国内店舗へ送られ、38%は資源回収などに回った。
例えばおもちゃの刀のプラスチック製のさやは物としては売れないが、資源にはなる。仕分け作業を担う上村友宏さん(46)は「商品にならなくても資源として形を変えて社会に戻せる。社会全体にごみを減らす流れができれば」と話す。
ただ東急電鉄では、引き渡しているのは忘れ物の全量ではない。鉄道会社は遺失物法で「特例施設占有者」と定められ、二週間以内に落とし主が現れなかった物は一部を除き、処分しても良いとされている。そのためビニール傘などそのまま廃棄するものも。三カ月も保管しきれないほど量があるのも現実だ。
東急バスはこの特例を申請しておらず、一度警察に送った物がブックオフへ回る。子どもの創作とみられる物は、持ち主には大切だろうが残念ながら廃棄物だ。意外なのは、妊婦が着けるマタニティマーク。かわいらしいイラストが描かれた装飾品として海外の店舗で売れるという。
一部の鉄道の忘れ物販売は以前から行われている。神奈川県座間市の有限会社ラ・ボーテは、約二十年前から「鉄道忘れ物掘り出し市」を年間を通じ、全国各地の催事場で開く珍しい会社の一つだ。主にJR東日本と京王電鉄から忘れ物を買い付け、仕分けて自ら値を付け販売している。
九月上旬は横浜市瀬谷区のイオンフードスタイル三ツ境店に出店。立ち寄った買い物客がのぞいていった。旭区の自営業亀井文光子(ふみこ)さん(48)は「これいい、やっぱり物が違いますね。普通に買うと高いので。使っていた人はなくして残念に思っているのかな」と、四千円の値が付いたブランド物の傘を開いて買うか悩んでいた。忘れ物の不動の一位の傘がずらりと並ぶほか、眼鏡やアクセサリー、時計、パスケース、文房具、テニスのラケットや一眼レフカメラまである。
上田哲也社長(59)が忘れ物販売を始めたきっかけは、自身が高価な時計を銭湯でなくしてしまった悔しさから。「悔しい思いも、また使ってくれる人がいれば報われる」と考えた。以前は雑誌など紙の物が多かったが、時代の変遷で最近はモバイルバッテリーやコード類といった電子機器周りの品が増えたという。
忘れ物では位牌(いはい)もたびたび目にするというから驚きだ。さすがに売れないので、寺に持って行き供養を頼んでいる。財布などで名前が入っている物は消して商品にする配慮も。上田社長は「世の中に戻されず廃棄される物はいっぱいある。戻してあげれば環境にも良い」と話す。
どこかでなくしてしまった自分の物が、誰かの手元でまた大事にされているかもしれない。そう思えれば気持ちは少し楽になる。ただ、やはり長く自分で使うのが一番。忘れ物に気づいたら、できるだけ早く忘れ物センターに問い合わせよう。
◆今月の鍵
東京新聞では、より良い未来を模索する動きを取材しながら議論するチームをつくりました。国連のSDGs(持続可能な開発目標)を鍵にして、さまざまな課題を考えています。
今月の鍵はSDGsの「目標11 住み続けられるまちづくりを」「目標12 つくる責任つかう責任」。なくした物を「また買えばいい」でなく見つけるよう努めるのも必要な心掛け。どうしても持ち主に捜し出されなかった忘れ物が天下の回り物として社会に還元され活用されるのを願います。
文・神谷円香/写真・由木直子、坂本亜由理
1985年、東京都生まれ。出版社に1年余り勤めた後に2010年、中日新聞社に入社。三重県四日市支局、静岡総局兼焼津通信部をへて16年から東京本社へ。18年の平昌冬季パラリンピックを現地取材し、運動部でパラスポーツを担当。東京パラリンピックをスポーツ、社会の両面から見つめたいと奮闘。パラリンピックが終わった後、日本は真に共生社会が実現できるのかを考えています。焼津通信部時代、担当していた警察署に迷子として預けられたセキセイインコを引き取り、今も溺愛中。21年9月から横浜支局。▶▶神谷円香記者の記事一覧
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